大判例

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東京高等裁判所 昭和44年(ツ)86号 判決 1970年1月20日

上告人 国

被上告人(選定当事者) 五十部豊久

主文

原判決を破棄する。

本件を宇都宮地方裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人斎藤健、名倉竹志の上告理由について。

記録によれば、上告人は、上告人が五十部章助に対し開拓者資金融通法に基づいて貸し付けた金員の償還請求について、五十部章助を被告と表示して昭和三五年四月一日第一審栃木簡易裁判所に本訴を提起したこと、ところが章助は昭和三〇年四月二五日死亡し別紙選定者目録<省略>記載の六名(以下、被上告人らという。)が同人を相続していたこと、本件訴状は章助に宛てて送られたが送達できず、訴状をはじめ訴訟書類の送達はすべて公示送達によつてなされたこと、第一審裁判所は昭和四二年一二月一一日の第一一回口頭弁論期日までに証拠調べを終了し、同期日に弁論を終結したこと、その後、上告人は、章助死亡の事実を知り、被告を被上告人らに変える旨の訴状補正及び訴状の再送達申請書を第一審裁判所に提出したので、同裁判所は弁論を再開したうえ、右訂正にかかる訴状を被上告人らに送達したこと、そして、第一審裁判所は、昭和四三年三月二二日第一二回口頭弁論期日において、上告人提出の右訴状補正書の陳述をさせ、被上告人らが不出頭のため、被上告人らが提出した「章助に対する訴えは、死者に対する訴えとして無効であり、かつ、本件について訴の提起がなされたことなどこれまで一切関知するところがなく、また、いかなる地位で期日の呼出を受けたか不明であり、その呼出も適式でないから、期日に出頭しない。」旨記載した同月一二日受付の通知書と題する書面の陳述を擬制し、弁論を終結したうえ、同年九月三〇日上告人の請求を棄却する判決を言渡したこと、そこで、上告人が原裁判所宇都宮地方裁判所に対し控訴に及んだことが明らかであるところ、

原審は、「死者を被告とする訴えは、補正の余地がなく、当事者の実在を欠き、不適法として却下すべきであるが、原告が誤つて死者を被告として訴えた場合でも、死者の相続人が訴状送達を受領して応訴するか又は異議を述べない場合に限つて、原告は被告の氏名を相続人に補正して訴訟を進行することができると解する余地があり、このような便法が許されるのは相続人の異議がないのに強いて別訴を起させることは訴訟経済にも反するとの考えによるもので、昭和一一年三月一一日の大審院判決(民集一五巻一二号九七七頁)はかかる趣旨に理解さるべきものである。」旨判断し、本件について被上告人らは右補正に異議があるものと認め、第一審判決を取り消し、本件訴えを却下したものである。

しかしながら、前記昭和一一年三月一一日大審院判例は誤つて死者を被告と表示した訴えが提起された場合においてもその死者の相続人は当然その訴えの被告となるものであるとし、従つて、裁判所は原告をして被告の表示を相続人に訂正させて訴訟手続を進行させるべきであるとするものであつて、右判旨は相続人の異議の有無によつて、その結論を異にすべきものと理解することはできない。そして、右判例の見解は、客観的に見て訴状の記載から離れるものとはいえず、また原告の合理的意思に合致し、訴訟経済の要請にも叶うところと解されるのであつて、いま、右判例と異なる見解をとるべき根拠は、これを見出すことができない。したがつて、本件の場合においても、亡五十部章助を被告と表示した本件訴えはその表示訂正に則して章助の相続人である被上告人らを被告とする訴えとして適法と解すべきであつて、これと異なる見解のもとに本件訴えを不適法として却下した原判決は違法であり、論旨は理由がある。

よつて、本件上告を容れて、原判決を破棄し、本件を原裁判所に差し戻すべく、民事訴訟法第四〇七条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岸上康夫 田中永司 平田孝)

上告代理人斎藤健、名倉竹志の上告理由

原判決は、法令の適用ないし解釈を誤つたものであり、破棄さるべきである。

原判決は、上告人(第一審原告、第二審控訴人)は五十部章助に対し開拓者資金融通法に基づいて貸し付けた金員につき、その償還を請求するため、右章助を被告と表示して、昭和三五年四月一日本件訴を提起したこと、しかし、右章助は訴提起以前の昭和三〇年四月二五日すでに死亡しており、被上告人五十部静江、同五十部春子、同五十部豊久、同坂本和子、同平塚淑子、同吉田彰子が相続していること、本件訴状は右章助あてに送つたが送達できず、訴状をはじめ訴訟書類の送達はすべて公示送達によつてなされたこと、昭和四二年一二月一一日の第一一回口頭弁論期日後に上告人が右章助の死亡を知り、被告を上告人五十部静江外五名に変える旨の訴状補正及び訴状の再送達申請書を第一審裁判所に提出し、同裁判所は弁論を再開したうえ、右訂正にかかる訴状を上告人らに送達し、翌四三年三月二二日の第一二回口頭弁論期日に上告人提出の右訴状補正書の陳述をさせたが、被上告人らは不出頭のため、同人ら提出の昭和四三年三月一三日受付の通知書と題する書面の陳述を擬制し、同日結審のうえ、上告人敗訴の判決を言渡したこと、そこで上告人が控訴したことを認定したうえ、死者を被告とする本件訴は、不適法であるとして上告人の本件訴を却下した。そして、その理由として「死者を被告とした訴は補正の余地がなく、当事者の実在を欠き不適法として却下すべきであり、相続人に対しては、あらためて訴の提起をしなければならないことは当然である。もつとも原告が誤つて死者を被告として訴えた場合においても、死者の相続人がその訴状を受領して応訴するかまたは異議を述べない場合に限つて、原告は被告の氏名を相続人に補正して訴訟を進行することができると解する余地があるが、この補正は、実は従来の訴状を利用して当事者を追加ないし補正する形をとつているものの実質は新訴を併合提起するものにほかならない。そして、このような便法が許されるのは、相続人に異議がないのに強いて別訴を起させることは訴訟経済にも反するとの考えによるものであり、昭和一一年三月一一日の大審院判決(民集一五巻、一二号九七七頁)はかかる趣旨に理解さるべきものである」と判示している。

しかしながら、死者を被告と表示して訴を提起した場合、実質上の被告はその相続人と解すべきであるから訴状を補正して、相続人を相手方として訴訟手続を進行させるべきものであつて、このことはすでに原判決引用の昭和一一年三月一一日大審院判決(昭和一〇年(オ)第二一四九号、民集一五巻一二号九七七頁)により確立されている解釈である。

右大審院判決の要旨は、第一審裁判所が、訴の提起前に被告が死亡していることを気付かずに判決の言渡をした事件について、その後右事情を知つた原告が、被告の相続人に対し訴訟手続受継の申立をすると共に、控訴を提起し、相続人を相手に審理手続をやり直すため、第一審判決を取消し、事件を第一審裁判所に差戻すよう求めたところ、控訴審裁判所が死者を相手方とする訴は実質上の訴訟関係が成立せず、その訴訟の受継はあり得ないとして該訴を却下したのに対し、右判決を違法として取消し、事件を第一審裁判所に差戻したものであつて、同判決は「本訴ハ上告人カ訴状ニ杉田司ヲ被告トシテ表示シ、昭和九年三月十三日広島区裁判所ニ提起シタルモノナル処司ハ是ヨリ先昭和七年四月十二日死亡シテ被上告人司郎其ノ家督相続ヲ為シタルモノナルヲ以テ本訴ニ於ケル実質上ノ被告ハ即被上告人司郎ニシテ只其ノ表示ヲ誤リタルニ過キサルモノト解スルヲ相当トス故ニ同裁判所ハ宜シク民事訴訟法第三百五十二条第二百二十四条第二百二十八条ニ則リ訴状ニ於ケル被告ノ表示ヲ杉田司郎ト訂正セシムヘキモノ」であつて、「右ノ如ク被告ノ表示ヲ誤リタルカ為本訴ハ実質上訴訟関係ノ不成立ヲ来シタルモノト謂フヘカラス」と判示している。

これに対して、原判決のように、当事者が何びとであるかはもつぱら訴状の記載によつてこれを決すべく訴状に被告として一定の者の氏名が明記されている以上あくまでもその者だけが当事者であり、したがつて、その者が死亡しているときは訴訟関係は何ら成立しないものとする見解があるが、これは余りに形式的な議論であつて、訴訟の当事者の表示を不当に制限的に解釈するものといわなければならない。もとより、訴訟の当事者は、訴訟手続ないし訴訟関係の安定を期するために、あいまいであつてはならず、何びとが当事者であるかは疑義なく明確でなければならないとともに、当事者の決定は訴状に準処してこれをなすべきものであること当然であるが、その故に、当事者の決定がもつぱら訴状記載事項中の当事者の表示だけによつて限定的になされなければならないという筋合はなく、当事者の決定は、訴状における当事者の表示を基としつつ、これに訴状の記載の全趣旨をも勘案して、合理的にこれをしなければならないものである。

すなわち、被告の決定にあたつては、被告として表示された者が実在するときは、当然その表示に従つてその者が被告であると解すれば足りるが、被告として表示された者が実在せず、その不存在が死亡によるものであるときは、これを右と同一に論すべきではなく、特段の事情がそこに認められない限り、実質的にはその者の相続人が被告として名指されているものと解すべきである。けだし、原告が被告として表示した者が死亡している場合、その訴訟の訴訟物が、請求の趣旨、請求の原因に照して、その死亡した者に専属する権利関係である等の特別の事情の存するときは格別、しからざる限り、原告としては特にその死亡した者に限定して当該請求をなす意思を有するものではなく、もしその者が死亡し、その地位が他の者によつて包括的に承継された結果、その承継人において被告適格を有するに至つたとすれば、その者に対して当該請求をなす意思を有するものであることは客観的にも明らかであるから、原告がたとえ記載方法の一般の例により、訴状に被告としてたまたま死亡している一定の者の氏名を記載していても、右述のような特別の事情の認められない限りは、そこには初めから、その者が生存していればその者を被告とするが、もしその者が死亡しているときはその者の包括承継人を相手方として自己の請求の当否についての判断を求めるという趣旨が包蔵されているものというべきであり、したがつて被告として表示されている者が現に死亡している場合にはその相続人をもつて被告として名指しているものと解すべきである。そして、かくすることは訴状の合理的解釈であつて、何ら訴状の記載をかけ離れた当事者の決定方法ではないとともに、また、それによつて何ら当事者があいまいとなつて訴訟手続ないし訴訟関係を不安定にするおそれを有するものでもない。

原判決は、死者の相続人がその訴状を受領して応訴するか、または異議を述べない場合に限つて、被告の訂正を認むべきものとしているが、この問題は客観的にこれを判断すべきものであつて、ことに(単なる訴訟手続の方式の履践のごとき関係とは趣きを異にするところの)当該訴の提起が適法であり、死者を被告としたその訴状の提出のときに、時効の中断を生ずるかどうかというごとき基本的関係は、被告の態度如何によつてこれを左右すべき性質のものではない。

もとより、訴状に死者を被告として表示した場合その訴訟の被告が実質的に相続人であるといつても、死者を被告として表示した結果相続人に対する送達が成立しない場合に、当然相続人に対する関係で訴訟の審理を進行しうべきものではない。しかし、原告の立場から見れば、被告の生死は一々これを確知するものではなく、また被告の死亡は訴状提出の寸前という原告として全く不可知の瞬間にも起り得るものであるから、被告の死亡が訴状提出の前であるか後であるかによつて、訴があるいは適法となり、あるいは不適法となり、法律上時効中断の利益等を得られたり得られなかつたりするということで全く不都合であり、被告が訴状提出後死亡した場合、それが訴状の送達前に発生したと送達後に発生したとを問わず、訴訟の承継が認められ、相続人を相手として訴訟を審理しうるにかかわらず、たまたま被告が訴状提出前に死亡していたからといつて、その間に右のような決定的差別を生ぜしめるということは不合理であつて、それは原告たる者の権利の救済に甚だしく欠けるところがあるものといわなければならない。

したがつて、この点からも、死者を被告として表示した訴は、実質的にその相続人を被告として名指したものと解して、これを適法と認めるのが相当であり、また、このように解釈しても、訴状の被告の表示を訂正して相続人に対し適法な送達がなされない以上、訴訟の適法な審理は進められないのであるから、これによつて相続人に特別の不利益を与えるというおそれも何ら存しないのである。

しかるところ、本件訴は、死者五十部章助を被告として提起されたものであるが、訴状訂正のうえ相続人たる被上告人らに対して適式の訴状の送達がなされているものであるから、何ら不適法ではなく、これを不適法な訴として却下した原判決は、民事訴訟法の解釈適用を誤つたものであつて違法であり、破毀、差戻を免れないものと思料する。

以上

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